日々の暮らしを愉しむ

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独りを愉しむ

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母と同い年の友達が先日電話で

「私ね、今までずっと自分の気持ちを押し殺したり、
 家族の為にいろんなこと我慢してきたの。
 でも、もうそれもやめにするの。
 これからは独りの時間を愉しんで
 自分の為だけに生きようと思って。
 だっていつこの世からいなくなるかなんて
 誰もがわからないじゃない?」

と急に”独立宣言”をした。

何不自由なく育ってきた幼少時代。
恋愛結婚した人は同じような環境で育った人。

でも家柄などのしがらみを捨てて
ひとりで事業を始めた夫を一生懸命支えてきた。

勿論、子供にも恵まれ、
きっと端から見れば幸せに見えただろう。

でも、最愛の人に先立たれ
子供も独立した。

そこでそれまで心に引っ掛かっていたことなどを
全てリセットして
独りを愉しむことを決心したらしい。

彼女のいきいきとした声を聴きながら
「私は?」とふと思った。

両親や妹のように”人生の伴侶”がいるわけでもないし・・・

”最初っから独り”
しかも世間的にはかなりいいオトナな年代。
”類は友を呼ぶ”のか
私の周りは私と同じ環境の人がなぜか多い。

彼らは彼らで独りの時間を愉しんでいる。

私にはまだそうしたことは、ない。
気がつけば日々パンを焼いている。
質のいい仕事をしていきたいのはこれからも持ち続けるであろう目標だが
プライベートな時間の質と言ったら・・・
かなりの疑問が残る。

群れることなく勤しむことを生業としているのだから
プライベートでも
彼女のようにもっと自分自身を尊重できる・・・
そんな暮らしを目指そう、と。

幸い、付き合いは長く
気の置けない友人の数には恵まれていると感じている。
これまでおざなりにしてきた自分に
”もう少し”構ってあげつつ、
オフモードに入った時の自分は
もっと愉しむべきじゃないのかな?
と今頃になって気が付き始めたようだ。
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by mignon0701 | 2014-03-28 15:02

大切に、そして丁寧に

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1月の下旬から
古い友達がずっと危篤状態に陥っている。

その人の状態は友達から毎週メイルで届くのだが
複雑な心境だ。

病や怪我、事故などは
私たちには到底、想像できない出来事。

かくいう私も昨年の晩秋、大きな病に”突然”かかった。
しかし、不思議なもので
自分の仕事が終わるまで
気持ちは張り詰めていたのだろうか?
パンを全て焼き上げて
「よかった・・・この子たちが無事に外に生まれてこれて・・・」
と思った途端に症状は悪化。

原因がはっきりしないまま
大学病院→知り合いの病院→また違った大学病院へと行き
さまざまな検査の結果
それが”何なのか”判明。

でも、正直仕事が続けられるかは
その時はわからなかった。

そしてたくさんの検査の結果、
意外にもその病とは別に
投薬治療をするにあたって
副作用が目に出る可能性が高いから
それに耐えうる目の質を私が持っているか
検査してもらったところ

目の質自体には問題はなかったが
網膜に”穴”が開いていることが判明。
「このままでは失明も時間の問題ですよ。」と
驚くような言葉を先生から聴き、
レーザー治療をして穴を塞いでいただいた。

「これまでに誰かに殴られたり、交通事故にあったりしませんでしたか?」
と聞かれたときにはさすがに驚いたが
交通事故にも合っていないから
なぜこうなったのかは不明瞭なままだが・・・

とにかく急に襲ってきた病のおかげで
失明を免れるといったことがあった。

先の友達も失業期間が長く
(私たちのような年齢になると再就職はなかなか厳しい)
やっと再就職できた矢先の出来事だった。

友達がこれからどうなるかは
神さましかご存じないけれども

例えば2時間後、半日後、明日。
自分の”これから”なんてわからない。

だからこそ、どんな日常であっても
”今”を大切に、そして丁寧に過ごしていきたい。
過ぎ去ってみれば案外、人生なんて
きっとあっという間なのだろうから。

例えば、明日自分の人生が終わってしまうとしたら
どんなに腹の立つ相手であっても
心をこめて「ありがとう。」と言えるだろうし、
微笑むこともできるかもしれない。

ちいさなことに感謝する気持ちが生まれたり、
全てのモノやコトに対して
”愛おしい”と思えるかもしれない。

全ての生きるものがうまく調和をとる為に
全ての生き物に”生”と”死”は巡っている。
自分だけが例外なんて、ない。

それが”なんとなくわかっていても”
私たち人間はエゴが出てしまうのが常。

けれどもそのサークルの中を流れに任せて
廻っていけるとしたら
今よりももっともっといいことがありそうな気がする。

ちょっとの先はわからない。

ならば”気持ち”自分の人生を
大切に、そして丁寧に過ごそうと意識するのも
決して悪いことではないと思う。

後悔の数はひとつでも少ない方がいいのだから・・・
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by mignon0701 | 2014-03-19 15:48

自然のちからを戴く

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私の友達は”美味しいもの”が大好きなひとが多い。

先日「これは自分へのご褒美なんだから!」と
兄が連れて行ってくれた中国料理店では
日本の春の山菜や金華ハムで出汁を摂ったものや
フカヒレを始め鹿のアキレス腱など
ムチムチした食べるコラーゲンなどで
心と体の内側を整えてきた。

別の日に
実家が近所の友達が”東京野菜”を届けてくれた。

その日は朝から気分が持ち上がらず、
自分でもどうすればいいのかと
呆れてしまうほどの落ち込みようだったが

彼は自分も大きな悩みや心のしこりを抱えているだろうに
会って食卓を共にすると
それまで自分自身も抱えていた
悩みやマイナスな要因を
笑いの絶えない会話と
美味しい食事で忘れさせてくれる。

そんな人だ。

持って来てくれたのは土の付いたままのパクチーと二十日大根。
パクチー嫌いの彼が
「これは食べれるんだよ!」と
目を輝かせて言っていた、それは
やさしい香りのパクチーだった。

鶏がらスープにほんの少しだけナンプラーをたらし、
茹でたての素麵を入れ、
パクチーをトッピングして食す。

・・・なるほど。
タイ料理店やベトナム料理店で嗅ぐ
あの強烈な香りはない。

でも、噛むとしっかりと
フレッシュな香りが口いっぱいに広がる。

二十日大根は何もつけずにそのまま食べる。
まるで果実を口にしたような瑞々しさ。
その後に口の中に爽やかな辛みが微かに残る。
決して嫌味な感じもなく、
スーッと薫っていくのだ。

葉はホワイトアスパラガス、ベーコンと共に
オリーブオイルでパスタにした。

アツアツのパスタを皿に盛ったら
パルメザンチーズを摩り下ろして
カイエンヌペッパーをかける。

少し前にイタリアの農夫が
自分の畑に使っていた農薬で体を壊し、
それ以来、有機野菜を作るようになった話を
TVでやっていた。

収穫量こそ減ってしまうが
自分の体ににも悪いものを
市場には出せない、と思い立ったらしい。

私もパンを作ることを生業としているが
なるべく生産者の顔が見えるものや
問屋さんとは密に話をしながら
食材を買わせて頂いている。

手間はかかるが
でも、誰かの体の中へ入っていくものなのだから
知っておきたいことは山ほどある。

不思議なもので
それらの人工的な効率良く量産されたものよりも
手間暇かかって生産量は限られてしまう
あまり効率も良くないものの方が
心も体の内側も満たされるものなのだ。

前者と後者の同じ野菜を食べてみると
「あぁ!そういうことね!」と判るかもしれない。

魚は”切り身”で骨もなく泳いでいるもの、
パスタのミートソースは缶詰かレトルトパウチしかないと思っていたり、
不揃いの土が付いた野菜を
「汚い!」とクレームをつけるような人が
当たり前のようにいる昨今。

ちいさな個人営業をしている店に赴いて
店主からその商品が店頭に並ぶまでの過程に
耳を傾けてみたり、

散歩しながら見つけた
柔らかくなりつつある春の風に薫る
ハーブの新芽と”握手”してみるといいかもしれない。

そこで自然からの恩恵に与れるし、
ちょっとした会話から視野がぐーんと広がるのだから・・・
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by mignon0701 | 2014-03-05 12:33